DEBUT

デビュー〜日本での活動

「清貴」として17歳でデビュー

きっかけは高校生の時に送った一本のデモテープ。異例のスピードでのメジャーデビュー、そしてヒット。

高校2年生の時に送ったデモテープがきっかけとなり、2000年、高校3年生のとき「No No No」でメジャーデビューした天道は、当時最高記録である17局のFMパワープレイを獲得、続く2001年「The Only One」で40万枚の売上を記録し、続くアルバム「I'll Be There」はオリコン初登場7位を記録、全国有線放送大賞新人賞も受賞しています。地名度が上がり、一見順調に見える音楽活動の一方で、10代の天道は自身のセクシャリティに起因する葛藤を抱えることになりました。

日本においてセクシュアルマイノリティへの理解が現在ほど進んでいなかった2000年前後、アーティストの内面を知りたがるファン心理と、素の自分の間で板挟みになった天道は、精神的に追い詰められていきます。思うように歌えなくなり、自らを表現することへの恐怖心から作品制作にも行き詰まりを感じるようになっていきます。このままではいけないと考え、初心に立ち返り、最終的に選んだのは、渡米という選択肢でした。音楽家としての原点であるゴスペルの本場に身を置くことで、天道は改めて自分を見つめ直そうとしたのです。

天道清貴デビュー〜日本での活動の写真
天道清貴デビュー〜日本での活動の写真
天道清貴デビュー〜日本での活動の写真